高砂天祖神社

天祖神社

ご祭神:天照大御神(お伊勢さま)

    武甕槌大神(鹿島さま)

    経津主大神(香取さま)

(氏神さま)

天照大御神と言えば、八百万の神様の中でも太陽を司る最高神、伊勢神宮のご祭神で皇室祖神、そして天岩戸神話などでもご存知かも知れません。ここでは、神社参拝について考えて行きます。天照大御神は、孫神に当たる瓊々杵命に地上の国を統治するようにと命じ、三種の神器の一つとして八咫鏡を「この鏡を我が御魂として斎き奉れ」と授け、高天原から地上に降臨させました。多くの神社に神様が宿られる依代として御鏡が祀られているのはこれに由来します。鏡の解釈の一つに、鏡から我を取ると神になるというのが有ります。鏡は自身の姿を写し、心を映します。御鏡を通して神様と向き合い、自分の心中にある神を誠実で鏡のように曇りのない素直な心で見つめ直す。神社参拝とは、日々の生活を振り返り、知らず知らずのうちに触れた罪や穢れに気づき、本来の自分自神を取り戻す行為とも言えそうです。毎月1日、15日は、社殿正面の扉を開けております。月詣りを始めて、清々しい気持ちでご参拝されてみてはいかがでしょうか?

Tenso Shrine

Speaking of Amaterasu Omikami, you may be familiar with the supreme god who controls the sun among the eight million gods, the deity of the Ise Shrine, the royal ancestor god, and the Tenwado mythology. Let's think about visiting a shrine here. Amaterasu Omikami ordered the grand god, Kagoro Kimei, to rule the land nation, and awarded the eight-eyed mirror as one of the three types of sacred equipment, "Send this mirror as my soul," I descended from Takatenhara to the ground. It is from this that many mirrors are enshrined in the mirror as a god of residence of gods. One of the interpretations of the mirror is that if you take yourself out of the mirror, you will become a god. The mirror reflects itself and reflects the mind. Face God through the mirror and reconsider God in your heart with a sincere, honest, mirror-free, open mind. It can be said that worshiping a shrine is an act of looking back on your daily life, discovering the sins and innocence that you unknowingly touched, and regaining your original self-god. On the 1st and 15th of every month, we open the front door of the shrine. How about starting a lunar holiday?

八雲神社

ご祭神:素盞雄命

(牛頭天王さま)

ご祭神の素盞雄命(スサノオノミコト)は、天照大御神の弟神です。八俣大蛇を退治しその尾から天叢雲剣、後の三種の神器の一つ「草薙の剣」を取り出し天照大御神に献上した勇敢な神様です。八俣大蛇から助けた櫛名田比売命と結ばれて多くの御子神をもうけ、幸せな家庭を築いた神様としても知られています。

スサノオの「スサ」には「荒ぶる・清浄」の二重の意味があり、罪・穢れ・災い等、身に降り掛かる悪しき諸々を荒々しい程の強い力で祓い清める「災厄除けの神」と言われています。

八雲神社の名の由来は、素盞雄命が櫛名田比売命と住む新天地を探して出雲の地を訪れた際に詠んだ日本最古の和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」に因みます。

神明造りの社殿は、昭和十八年六月に現在の八雲公園から移され天祖神社の境内に合祀されました。毎年六月十五日に、神社の役員・総代参列の上「八雲祭」が執り行われます。

◆茅の輪くぐりの由来

茅の輪くぐりは日本神話に由来します。スサノオノミコトが旅の途中で宿を求めた、備後国の蘇民将来(そみんしょうらい)との逸話が起源です。

スサノオノミコトが遥か遠くの南の海に妻問いにでかけた時のこと、陽はすでにとっぷりと暮れ、旅に疲れ果てたスサノオノミコトは蘇民将来(そみんしょうらい)・巨旦将来(こたんしょうらい)という名の兄弟に宿を乞いました。

裕福で立派な家に住む弟の巨旦将来は、顔もやつれ衣服も汚れたその姿を見て、怪しみ惜しんで宿を貸しませんでしたが、家も小さく貧しい生活をしていた兄の蘇民将来は、粟柄を座とし、粟の飯で精一杯のもてなしをしました。

数年後、再びスサノオノミコトは蘇民将来のもとを訪れ御礼を言い「もしも疫病が流行したら、茅(かや)で作った小さな輪を腰につけていなさい。そうすれば難を逃れ、子孫は永く栄えるでしょう」と伝えて帰りました。

その後、突然二人の住む村に疫病が流行り、スサノオノミコトの教えを守り茅の輪をつけていた兄の蘇民将来の家族は助かり、弟の巨旦将来の家は途絶えてしまいました。

無病息災を祈願するため、茅の輪を腰につけていたものが、江戸時代を迎える頃には、現在のように茅の輪をくぐり抜けるものになったと言われています。

◆茅の輪の材料について

茅の輪くぐりは、主に6月30日頃に「大祓(おおはらえ)」「夏越の祓(なごしのはらえ)」と呼ばれる儀式のなかで、「茅の輪くぐりの神事」が行われます。

茅の輪くぐりで使われる茅(かや)は、しめ縄としても用いられ、古来から「身についてしまった厄を払うもの」として使われてきました。

茅の輪には茅以外にも、同じイネ科の植物が用いられ、葛飾区登録無形民俗文化財にされている「茅の輪くぐりの神事」では、マコモが使われています。

マコモは、日本古来の植物で昔から水辺にたくさん自生しており、水と空気をきれいに浄化する働きがあることでも知られ、近年、霞ケ浦や琵琶湖などの水辺では、マコモを使用した水質浄化事業も行われているそうです。

◆茅の輪のくぐり方

茅の輪のくぐり方は、「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ」と唱えながら下記の様にくぐり抜けます。

まず、茅の輪の正面で一礼をし、茅の輪をくぐり左回りで正面に戻る

次に、茅の輪の正面で一礼をし、茅の輪をくぐり右回りで正面に戻る

再度、茅の輪の正面で一礼をし、茅の輪をくぐり左回りで正面に戻る

最後に、茅の輪の正面で一礼をし、茅の輪をくぐり真っすぐ社殿に進みお参りをする

稲荷神社

ご祭神:宇迦之御魂神命

(お稲荷さま)

昔の人々は、神様は春になると山から降りてきて「田畑の神」となり、秋になって五穀豊穣をもたらして収穫が終わると山に帰って「山の神」になると考えていたそうです。

同じ様に春になると山から人里に下りてきて田畑を荒らす鼠等を捕まえて、そして秋になって収穫が終わると見かけなくなる狐の行動や狐の尾の形や色が実った稲穂に似ている事から「狐は神様の使い」と言われる様になったとの事です。

稲荷神社は、農業に携わる「農民の神社」として全国津々浦々で信仰されてきましたが、その後、江戸時代になって商業や工業が盛んになると「庶民の神社」として商売繁盛・開運出世・家内安全の神様としても祀られる様になりました。

また狐のお産が軽く、安産である事から安産祈願もされる様になりました。

毎年、旧暦の初午の日に、沢山の赤いのぼりを立てて初午講による「稲荷祭」が執り行われます。

道祖神

ご祭神:猿田彦大神 天宇受売命

(天狗さん お多福さん)

道祖神は、古くから町内交通の安全と悪人の侵入を防ぐ神様として祀られてきました。昭和三十七年、水路改修の際に天祖神社の境内に移設されました。

ご祭神の猿田彦大神は、天照大御神の孫に当たる邇邇芸命の天孫降臨に際して先導をした「導きの神」として知られ、天宇受売命は、天岩戸隠れの場面で舞い踊りを演じて天照大御神が岩戸から出て来る様にしむける「芸能の女神」として知られています。

天孫降臨の道案内の為に迎えに来ていた猿田彦大神に天宇受売命が名前を尋ねた縁で二神は結ばれて結婚しました。道祖神は、この夫婦二神の姿を描いているのが多いいそうです。

地域によっては、猿田彦大神を「天狗さん」、天宇受売命を「お多福さん」と親しみを込めて呼んで、町内安全・開運招福・芸能上達・美容祈願・夫婦和合・縁結び・恋愛成就などの祈願を良い方向に導いてくれる神様として信仰されています。

水神四社

水神宮   (水波女大明神/水神さま)
厳嶋神社  (市杵嶋姫命/弁天さま)
青龍大権現 (天水分神/清流さま)
日枝大神  (大山咋命/山王さま)

この祠四社は、140~200年前の建立で、いずれも水に関わる神様が祀られています。ここ「高砂」という地は、東京湾に注いでいる中川が大きく曲がる場所で、昭和7年の市郡併合までは「曲金」と呼ばれる農村地域でした。

同年に高砂橋が架けられるまでは「曲金の渡し」と呼ばれる渡し船があり、江戸の人々が柴又帝釈天への参詣路として利用したり、農家が育てた野菜を京橋市場へ運ぶ水路として活用され、村に多くの恵みをもたらしました。反面、大雨や台風があると川が氾濫し、昭和30年頃までは町のあちこちに大小の池があったとの事です。

昭和37年の当社栞に「水神宮は高砂橋下河岸に安置され、高砂蔬菜船出荷組合により祭祀されていたが、昭和九年に境内に移設」の記録が残されており、舟運業者・漁業関係者の守護神(水神宮)、財福・芸能や美容の女神(厳嶋神社)、農業用水や雨乞いの祭神(青龍大権現)、山の地主神で治水や酒造を司る神様(日枝大神)として、町内各所で大事にお祀りされていた祠が町や河川の整備により境内に移されたものと思われます。

古代日本では立派な社殿もなく、山や川などの自然物に「八百万の神」が宿ると考え、山の神 水の神などの神様を祀ることで様々なご利益が授けられると信じてきました。現在も八雲祭で祝詞が奏上されています。 

招魂社

ご祭神:高砂の戦没英霊 殉没者

(ご先祖さま)

この招魂社は、講和条約締結記念として昭和二十七年、区内各町にさきがけ建立されました。明治以来祖国の為に尊い命を捧げられた高砂の戦没英霊百壱柱、殉没者四十六柱がお祀りされています。

大戦が終結してから長い歳月が流れ、戦後生まれの人口が既に四分の三を超えた今、戦前の記憶が薄れてしまうのも無理もない事かも知れません。日本人は昔から死者の御霊はこの国土に永遠に留まり、子孫を見守ってくれると信じてきました。

招魂社の前で手を合わせて頭を下げると、大変な時代を生きたご先祖様の働きによって今の平和な日本がある事に自然と「ありがとう」という「感謝の心」がわき出てくると思います。

思いやり(相手の立場や気持を理解し大切にする事)、優しさ(自分がされて嬉しい事を他人にしてあげる事)を忘れずにご先祖様に感謝してお参り下さい。

熊野社


熊野速玉大神 (イザナギノミコト)
熊野夫須美大神(イザナミノミコト)
家津美御子大神(スサノオノミコト)

神紋の三本足の烏は日本サッカー協会のシンボルとして有名な八咫烏です。古事記の「神武東征」の物語で熊野の深い山道に迷った神武天皇を熊野から奈良まで道案内をし、戦を勝利に導いた「導きの神鳥」として描かれています。

熊野三山は 神仏習合が早くから進み、身分や男女、信仰の分け隔ても無く受け入れる 自然信仰の修験道の聖地として山奥にある社ながら「蟻の熊野詣」という諺になるほど多くの人々が難行を覚悟で熊野をめざしました。自然は言葉では言い尽くせない脅威や苦しみ、感動や恵みを人に与えます。

古代の人は災害や恵みも合わせ与える厳しくも温かい神を畏敬しました。現代、科学技術の発展とともに「人間の為に」なる文明社会を築き、生活は楽になりましたが反面、自然への畏敬の念が薄れ、環境破壊や人間関係の希薄などにより 信じられない異常気象や事件をまねいています。

今の時代にこそ豊かな人間性を取り戻し、人間も自然の一部であるという事を改めて考えなければなりません。